全村博だより 第100号 刊行記念
全村博だより第100号を記念して、阿智村の「100」をピックアップしました。
- 100億年前
- 宇宙が生まれて間もないころ
- 100万年前
- ホモ・エレクタスがアフリカを出る
- 100年前〈1926(大正15・昭和元)年〉
- 〈年表〉
- 6月 相沢地籍へ恩田井水記念碑が建立
- 7月1日 各小学校へ青年訓練所を設置。
- 8月 飯田中津川間の地方鉄道敷設に対する意見書を会地村が提出。
- ○浄久寺堂前に宝篋印塔が建立・施主伊勢惣
- ○伏谷社に石の鳥居が建立
- 〈年表〉

100年前の出来事のうち、8月にあった「地方鉄道敷設意見書」について調べてみました。駒場区保有の文書に、記述が残っています。
1923(大正12)年に辰野・飯田間の鉄道が開通したこともあり、①駒場まで延長する運動、②飯田・中津川間に鉄道(飯津鉄道と呼ぶ)を敷設する運動が盛んになりました。
文書によると、1926年8月23日に、飯田中津川間の鉄道敷設に関する申合書を取り交わしました。
運輸省に提出した設計図を見れば、飯津鉄道の路線は梨野山を通るのみだが、これを駒場に通すべきである。そのため山本村・会地村・伍和村・智里村・清内路村と竹村寿吉(岐阜県民政党県議)と申合書を取り交わし、駒場通過を実現すべく調印した。 (会議事件簿より)
年表には「意見書の提出」とありますが、確認できたのは「申合書の調印」でした。
その後、飯田から駒場まで鉄道を延長する運動が進みましたが、結局は戦後の「国鉄中津川線」計画も途絶え、道路が通りました。
- 100ヶ月前〈2018年4月〉
- 全村博だより第1号が発行
- 〈創刊に関わったスタッフより〉取材や活動を通して出会った阿智の魅力をたくさんの人に伝えたいと思い作ってきました。皆さんからの感想や投稿を頂くことが励みです。これからもよろしくお願いします!
- 全村博だより第1号が発行
- 100日前〈2026年4月10日〉
- ヘブンスそのはらナイトツアー開始(4月11日)
- 100時間前〈4日4時間前〉
- 4日前は何があったでしょうか?
- 100秒前〈1分40秒前〉
- あなたがこれを読んでいます
そして100年後の阿智村へ
熊谷元一写真童画館
アートギャラリー企画展「終戦から81年 戦時中ポスター展」
日中戦争から太平洋戦争の間のポスター30点を展示します。
- 期間:7月1日(水)~9月7日(月) ※火曜休館(8月は休館なし)
- 時間:午前9時~午後4時30分
- 入場料:無料

常設展示企画展「いま蘇る昭和の子どもたち展」
たくましく働き、楽しく遊び、学んだ子どもたちの記録写真54点を展示します。
- 期間:7月22日(水)~11月16日(月) ※火曜休館(8月は休館なし)
- 時間:午前9時~午後4時30分
- 入場料:350円/村民100円/中学生以下無料
東山道・園原ビジターセンターはゝき木館
企画展「ここがすごい! 写真家 熊谷元一」
教員をしながら村の何気ない日常や学校での子どもたちを撮影してきた熊谷元一(1909-2010)の貴重な写真を展示します。
- 期間:7月11日(土)~10月12日(月・祝) ※火曜休館
- 時間:午前9時30分~午後4時30分

報告:6/7(日) こまんばマルシェ開催

あいにくの雨でしたが、食べ物や雑貨など27店がマルシェに出店し、来場者は食べ歩きや買い物を楽しんでいました。
また『信州桜華連』が阿波踊りを披露し、最後には来場者も一緒に踊りました。
古物無料コーナー「オカネイラズ」では、「こんなキレイなもの持ち帰っていいの?」と目を輝かせながら持ち帰る方が多くいました。
開催日時:2026/12/6(日) 午前10時~午後2時30分
応募期間:9/1(火)~10/4(日)午後5時まで
セミの抜け殻探し 追加募集!
今年で6年目!ぬけがらを集めて、何種類のセミがいるか調べます。
日程:8月22日(土) 申込み締切:8月20日(木)
場所:伍和・大鹿集会所(伍和2313)
講師:山田拓氏(高森町)
参加費:無料
参加申込:全村博HPの申込みフォームより

報告:5/30(土) 米づくり体験 〈田植え〉
5月30日、米づくり体験第二弾として、田植えを実施しました。裸足で田んぼに入り「冷たくて気持ちいい」と手植えをしたり、川遊びや虫取りをしたりと、穏やかな時間を過ごしました。昼食は羽釜で炊いたご飯でした。おなかを空かせ、おかわりする人が続出しました。
【協力隊日記🖊】神坂峠越え!

インバウンド向け旅行会社に同行し、中津川の強清水から神坂峠を越え、神坂神社・園原へと至る「神坂峠越え」ルートを歩きました。

この日は悪天候で終始びしょ濡れでした。大変な中、神坂神社まで下ったところに万葉歌碑がありました。その歌は、命を落とす危険性のある中、両親のために自らの無事を祈るというもの。それを見て当時の人々の決死の祈りが現実味を帯び、哀愁とロマンを感じずにはいられませんでした。
(地域おこし協力隊:大岩)

